喜楽座トークショー
昨夜は喜楽座で行われたトークショーに参加しました。
徳永高志(アートNPOカコア代表)×佐藤研吾(建築家)×山川陸(建築家)
今回のはならぁと宇陀松山のテーマは「喜楽座復活祭」。
現実的に喜楽座を復活させようとした場合に起こるであろう様々なものごとについて貴重なお話を聞くことができました。
そして、こういう古い建物の再構築の大きな問題がこの「合意形成」だなと思いました。
お金の問題というのはそれほど大した問題ではないと思います。
自分のお財布から出すとなると大きな問題ですがそうでなければお金はあるところにはあるものです。
この喜楽座は冬は雪に閉ざされて娯楽のない町でみんなの憩いの場として地域でお金を集めて生まれたようでした。
耐震性がどうだとかそういうことではなく、その思いをいかに受け継いでその延長線上にある再構築をどうしたらできるのか?
いつの時代に戻すのか?再構築したものをどう運営していくのか?そもそもなんのために残すのか?
今回のキュレーターの渡辺さんもそこをいろいろ考えて今回のようなプログラムにはならぁとを企画されました。
僕たちは地元民だから合意形成の主役は我々であるなんてことは本当におこがましい話で、こんなに時間と思考を繰り返して貴重な埋もれた遺跡をどうしたらキチンとした形で蘇らせることができるのかを考えて下さっている渡辺さん始めアーティストの皆さんの発信するメッセージを真摯に受け止めないといけないなぁと思いました。
徳永さんが「だんだん観客が全員同じように見えることが大事という流れになって映画になってそれがすっかり当然になった」という話をされました。
今ではスマホの画面でも自分が見たいときに好きな映画が見られる時代です。
そんな生き方にどっぷり使ってそれを当たり前にしか思えていない我々に場所によって見切れたりするような芝居小屋のことをキチンと考えられるかとなると相当眉唾ものです。
自分がお寺という場所の運営に携わってるから分かることですが、時代だけに合わせていたら本当に必要な人が少なくなると終わりにしてしまうという選択肢しか選べられないように追い込まれていきます。
そんな合意形成の仕方だけをしているときっと最後に残るのはみんなのスマートフォンだけになるような気がします。
少子化はどんどん進んでいるわけですからそうでなくても全ては縮小に向かっているわけです。
豊かな暮らしはスマホさえあれば実現出来るのでしょうか?
喜楽座の復興にはまだまだこれからたくさんの議論を合意形成のために費やしていかないといけないなぁと本当に感じました。
宇陀松山の喜楽座に限って言えば今ならその合意形成に外の専門的知識のある方、そういう小屋の復興に興味のある若い方が加わってくれる可能性があるということです。
継続してこれからもそういった人たちに関わってもらうためにはまずはまずこの喜楽座という場所に人々が関心を持つことだなと思います。つまり来てくださいということです。
はならぁと宇陀松山の開催は残すところ今日と明日の2日間だけ。
キュレーターの渡辺さんが復活のシンボルとして喜楽座の真ん中に表現した特設舞台の終われば撤去されます。
個人的には今回お寺に奉納してくださる仏像を滞在制作されているバレンティノさんにぜひお会いして交流していただきたいと思います。
だいたいタカスケさんもおられるので、通訳はして下さいます。僕のイタリア人に対するイメージがすっかり変わってしまいました。完成した仏像はお寺にあるので終わってからも見れますが、ヴァレンティノさんがこの宇陀に再訪されることは、きっとないと思います。
でもそんな時間がなくてもこの喜楽座とその特設舞台だけでも、見にきて欲しいと思っています。
会期中たくさんの人がこの報恩寺も出入りしています。
開催のための会議から始まり、関係者の宿泊、交流会の会場に、そして時には揉め事の仲裁の場としても。
そういうところにいる身としてはコミュニティとしての場というのは本当に大切で日々命が吹き込まれている気がします。
朝から長々と書いてしまいましたが、昨日のほんの1時間のトークでしたがとても刺激的なトークショーでした。
そして僕はこれから今日は子どもたちの成長の場作りをずっとやってこられた人生の大先輩とのお別れに行ってきます。
亡くなられたほんの数時間前まで一緒に時間を過ごしていたのでただただ今でも呆然としています。
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