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アムリタさんのお芝居

今日ははならぁと宇陀松山喜楽座でのアムリタさんのお芝居を見に行きました。

ネタバレになると思うので明日見ようという方は読まないでください。

お芝居の内容は、芝居小屋だった喜楽座と映画館になった喜楽座とこれからまた芝居が始まる今の喜楽座が擬人化されて登場します。

その中に、はならぁとで芝居をしようとする役者さんという役の役者さん(ちょっと分かりにくいですが)が出てきて、説明的にここに至る経緯を語っていくような内容でした。

大宇陀のことや喜楽座のことをよく知らない人には擬人化と夢と現実が交差するシーンがあったりでちょっと良くわかりにくい部分もあるだろうなとは思いました。

でも、最近ずっと喜楽座のことに関わっていて、この町のことをよく知っている僕としてはとても楽しめる内容でした。

と、同時に何度も涙がこみ上げてきました。

なんでかというと、自分のお寺もいつかこの喜楽座のようになってしまうんじゃないかなと思ったからでした。

皆さんは「そんなことあるわけないやん」って思われるかもしれません。

でも、今日参列させて頂いた告別式は無宗教のスタイルで行われました。

お焼香の間は生前に好きだった落語が流れていました。

それの是非を言いたいのではなくて、そういうスタイルも僕の身近な人の告別式でも行われるようになり、そのことを非難するような参列者もいなかったという現実になりつつあるんだなと知りました。

「みんな必要なくなってそして喜楽座から人がいなくなった」

喜楽座と報恩寺を重ねるような見方は僕しかしてないと思いますが、今は少しずつ無くなる方に向かおうとしているんじゃないかなという不安があります。

そういうシーンが他にもいくつかあってその度に目頭が熱くなってました。

報恩寺は先代以前はずっと尼僧さんが住職のお寺でした。

僕や先代の祖父が映画館時代の喜楽座とすれば、尼僧さんの時代が芝居小屋の喜楽座に当たると思います。

祖父は開かれたお寺としようとして山を崩して以前の倍の敷地の大きなお寺にしました。お寺でのお葬式を出来るようにといろいろ整えましたが、今は葬儀会館にすっかり役目を奪われてしまいました。

今日の芝居では、もともとの芝居をする場所として生まれ変わる話だったのですが、果たしてお寺はこれからどの方向に向かっていくのか、尼僧さんだけのちょっとあえて開かれていない方がいいような人たちの居場所であった頃のお寺に戻って行ったらいいのか?

そんないろんなことが頭の中でぐるぐる回りながらの鑑賞でした。

この感想はなかなか他の人とは共有できないことでしょう。

でも僕のことなんかいろんなことやってはるなって思うだけじゃなくてそんな不安も抱えてることを知ってもらえたらいいかなと思って書いてみました。

このアムリタの芝居を見た人とは共有できるかもしれませんね。

昨日の投稿も今日の投稿もちょっと感傷的ですが、それは今週の大先輩の急逝を引きずっているだけなのでお許しください。

それにしても、関東の遠くからわざわざやって来てくれて、この歴史に埋もれてしまった芝居小屋を4年前に目の当たりにし、熱狂的になってくれた若者たちには本当に感謝しています。

落語会は落語会でやって良かったなとは思いましたが、やっぱりここは芝居小屋だったんだなと実感できたお芝居でした。

特設舞台も使われてナンボのものじゃと思いました。

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