44歳になりました
本日で44歳になりました。
ある人によるとゾロ目の年はいいことがあるらしいので、今から楽しみにしています。
家族にそれぞれ44歳の僕に望むことを聞いてみたところ
長女:メタボを直せ
次女:たまには一緒に寝よ
三女:私の言うことは全部受け入れよ
でした(笑)
「今のままでいい」と真奈美さんが言ってくれたのが救いであります。
小さい頃から回りの視線は気にする方でしたが、結婚して夫になり、子どもが出来て父親になったころから「夫とは?」「父親とは?」ということから始まり、社長であったり、住職であったり、先生であったりという職業的な自分、はたまたそもそもの「自分って誰?」みたいなことにしても、自分の内側の気持ちより、外からどう見られているかということを気にすることに拍車がかかっていたと思います。
それは自分が自然体で振る舞うことへの不安の裏返しであり、不安は自分自身に対する信頼感の欠如から起きていたのだと思います。
今年に入って色々な方から新しいステージでのお声を掛けていただくようになり、自分以上に自分のことを信頼してくださっていることに気付かさせていただく機会に何度か遭遇しました。
逆に、ずっと身近で信頼を寄せてくれていた人の気持を踏みにじるようなことをしてしまっていたことに気づいたりも…
まあ、44歳にもなってお恥ずかしい話ではあるのですが、自分に対して絶対的な信頼感を持ってこれからの残りの人生を生きていきたいと思います。
その自分への信頼感を支えるのはやはり「南無阿弥陀仏」なんです。
「南無阿弥陀仏」を唱えるということは、自分も他人もみないまそのままで大丈夫ということを感じることなのです。
外に自分の信頼感を求めてもそれはひと時は、得れた気になっても永遠には続きません。
昨年はそんなことに気づかせていただく1年でした。
そのことが気になる人はお寺に来て頂いて一緒にポクポクしましょう。
僕の場合、Facebookの設定で本人さん以外にはご覧いただけませんが、沢山のお祝いメッセージありがとうございます。
メッセージのお礼といたしまして、2人の美女に囲まれて自然体でにやけている私の写真を添えさせて頂きます(笑)
写真を撮っている人に「こんな笑顔今までで初めて見た」と言われてしまいましたが、笑顔だって普段自然体で表現できているとは限らないのです。
大自然が自然であるだけで人を癒やすように、自分が自然体で生きることで自分や人を活かせる人間になっていきたいと思います。
最後までご拝読ありがとうございました。
南無阿弥陀仏〜
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