真夜中のおしゃべり
知り合って15年になる相方です。いまでこそ自然派志向の生活をしていますが、昔は夜な夜な二人で飲みに出ては、帰って新聞配達の人が来る頃まで更にワイン1本空けるような自堕落な生活を送っておりました。
その分、何をそんなに話すことがあったのだろうかというくらい、いつもぺちゃくちゃぺちゃくちゃおしゃべりをしていたものです。
最近はなかなか時間のすれ違いが多く、二人でゆっくり話したり飲んだりすることがないのですが、今日は夕食のあと少し時間があったので、これからのことについて話す時間が取れました。
僕は仕事があるので飲んでません。そちらの人が一人で一本開けようとしているところです。
今までいろいろな活動のコミュニティの場としてのお寺のありかたのようなものは試行錯誤しながらチャレンジしてきたのですが、やはり本来のお寺の機能としての、身近な人を亡くした悲しみに寄り添って、何が出来るわけでもないけど、まず、心を開いて、自分の気持ちを吐露できるような場作りというのも大切だなあという話になりました。
というか、大切だと思うから、行事の時だけきちんとするのではなく、常日頃からお寺の佇まい、あなたの佇まいをきちんとしておきなさいと、諭されました(汗)
まあ、そのことに言い訳しつつ、喧嘩にはなりませんが、なかなか3人の子どもたちを成人するまで育てないといけないという責任もあるので、最終形は老後の楽しみにおいておくくらいで、いまからぼちぼち準備していこうという話になりました。
そういう話からママネの方の話にも発展し、そちらもちょっとこういうふうな形で運営すればいいのではないかというアイデアがちょっと浮かんできました。
本当にうまくいかない理由はないものねだりなんだなあと思います。そんなことで停滞せずに、出会いにアンテナを張って、いろんな人を信頼しまかせていく、自分の分相応を無理してどっちつかずにならないというのが40代以降のスタイルなのかなあということで話は落ち着きました。
我が家は姉さん女房なので、僕からは彼女が見えている世界がほとんど分かりません。分かった頃には、また違う世界にいったはります。
どれくらい大目に見てもらえているかも想像がつかないので恐ろしいのですが、ムキになって反論せずに諭されたことくらいは神妙に聞いていこうと思います。
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